虚
薄闇が迫る頃、一人の名のある詩人が峠を越えていた。
その時、一匹の猛虎が茂みから躍り出た。
あわや詩人の喉元に食らいつくかというその時、虎は牙を逸らして茂みに隠れた。
詩人が腰を抜かしているところに、茂みの中から声が聞こえる。
「危ないところだった……」
どうやら、声は先ほどの虎が発するものらしい。
さらに驚いたことに、詩人はその声に聞き覚えがあった。
詩人は茂みの中の猛獣に尋ねる。
「もしや……そなたは、我が友ではあるまいか?」
虎が答えた。
「いかにも」
実
虎は姿を見せるのを恥じるように、茂みの中からその来歴を語った。
詩の技の伸びざることに思い悩むあまり、気がつけば虎となっていた、と。
「獣と化したこの身を笑ってくれ、友よ。
俺は自分の才能を信じるあまり独学にこだわり、結果として大いに伸び悩んだ。
いや……己が才を信じていたのかどうかも怪しい。
真に自らの才気を信じていたならば、君たちに混じり研鑽できたはずなのだ。
きっと俺は、自らを超える強大な才能と出会うことを恐れていただけなのだ。
詩の迷宮の袋小路に追い詰められ獣へと堕ちたのは、俺の臆病な自尊心と尊大な羞恥心のせいだ」
詩人は虎の自嘲に静かに耳を傾けて……いなかった。
詩人が呆然としていたのは、友が凶暴な虎の力を得たという一点のみ。
「……羨ましい」
真
虎の友人は語った。
「友よ。
君が都から姿を消して久しい。
今、都の詩がどうなっているか、知っているか?」
「いや、それは……」
「教えてやろう。
今や詩を詠む者など、ほとんどいなくなった。
都で胸を反らせて闊歩するのは今や詩人ではない。武人だ。
そこら中に魔物がわいたことで、筆よりも槍を持つ者が英雄になったのだ。
詩を読む者が減れば、どうなると思う?
あわや数年の内に、詩を評価できる者がいなくなった。
詩を評価できる者がいなくなれば、どうなると思う?
詩の中味など、すでに気にされない。
官位の売買と同じく、門外漢が金で詩の重鎮の座を買う。
私は今、その似非重鎮たちによっていわれの無い罪を着せられ、都を追放されたのだ」
虎は耳を疑った。
詩聖仙とまで呼ばれた彼が……都を……追放された?
「いかにも。我が詩、権威は無くとも民心を掴むからこそ重鎮たちに疎まれた。
今の詩界は、上手き者を世に出すのではなく上手き者を追放することに必死なのだ。
家も、金も、地位も名誉も剥奪され……
私は、復讐したかった。
なぜこの身が虎でないのかと、この峠を歩いていたのだ……」
虎は唖然とした。
先ほどまで人であったはずの友の顔は、すでに自らと同じく虎となっていた。
深
「虎の脚を得て初めてわかった。我々が聞いていた風などほんの一部」
「虎の爪を得て初めてわかった。我々が知っていた戦などほんの一部」
半人半虎の怪物となった二人は、闇夜を駆け、詩の心を歪める悪を誅し、心ゆくままに詩を詠んだ。
「この体にも慣れてきたが……しかし、依然として困ったものだな」
「ああ。朝方となれば、人に戻ってしまう」
「よい詩を作り続けるために、完全なる虎として完成する法はないものか?」
罪
二人のワータイガーが、アルカナの戦士を見つけ出すまでそう時間はかからなかった。
ワータイガーたちは、岩場からロードの一団を眺めている。
「……友よ。あの神魔霊獣たち、皆、詩に没頭するあまりあの姿になったのであろうか」
「そうに違いない。詩は人を人ならざる者へと変質させる。きっと彼らも、我らと同じであろう」
「なんと……それは胸が躍るが……だが、彼らに我々の詩が及ぶだろうか?」
拙き詩だと、笑われはしまいか……?
古参の虎はそう嘯く。
「友よ。臆病な自尊心と尊大な羞恥心を捨てよう。我らはもう人ではない。虎なのだ」
「うむ……そうだな。ゆこう、そして人ならざる皆と詩を磨こう、友よ!」
二人のワータイガーは虎の跳躍で崖を下り、ロードの一団の前に立ちふさがった。
そして居住まいを正し、頭を垂れる。
「もし! 我らもまた詩を志す者! よろしければ、門下に入れてもらえぬだろうか!」
……詩?
……門下?
ロードたちが首をかしげたのは、言うまでもない。
余談
半人半虎の怪物。
lovでは1のみ登場。サヴァスロでまさかの復活となった。しかもレジェンダリー。
フレーバーテキストの内容は、高校の現代文で履修者が多い中島敦『山月記』の逆打パロディがされている。
山月記は詩に悩むあまり虎になってしまった男の嘆きが書かれているが、
このフレーバーテキストでは詩に悩むあまり虎になりたがる男の欲望が描かれている。
結局詩人も虎となり、二人揃って2体のワータイガーとなった模様。
余談の余談だが、wiki編集者が高校の頃にCDで聞かされた山月記の音読は、声優の大塚明夫氏(サヴァスロのヴァルス皇帝役)による音読だった。
あのCDはどうやったら手に入るものなのだろうか。