虚
そこをゆく素敵な御方……
あら、嫌よ……そんなにまじまじと見つめちゃって……
ええ、そうよ。私は美の女神ヴィーナス。
うふふ……喩えじゃないの。
私は、人々が風に噂する女神ヴィーナスそのものよ。
私がこうして貝の上に立っている姿、絵画で見たことがあるでしょ?
一度人間に描かせてあげたことがあるの。
そう、近づいて「本物」を見ていいのよ。
もっともっと……遠慮しないで。
そう、抱きしめられるほど近くに……
あなたの吐息がかかるほど近くに……
ばくんっ
大きな音を立てて、貝は人間を飲み込んだ。
「良いもの見られたでしょ?
ここまでの『疑似餌』を作れるのは私ぐらいよ。
観賞料としておいしくいただいておくわ。あなたの命」
そう呟いたのは、ヴィーナスの足下にあった貝そのものだった。
実
かつて、ものぐさな貝は深海に沈んでいた。
面倒くさい――
動きたくない――
絶対に働きたくない――
なぜかその意思は、万力のように閉じる自身の貝殻のごとし。
だが彼女には、不幸にも並み外れた旺盛な食欲があった。
どうにかして、餌が向こうから寄ってくるようにはできないか――
そこで彼女は「人間に助けられた人魚姫」のことを思い出した。
人間は、人魚に寄ってくるらしい……
人魚にお話を聞いてみようかしら……
でも、人魚の宮殿まで、うんと遠いな……
うーん……まずは人魚をおびき寄せなくちゃ……
彼女は、惜しげも無く特大の真珠を吐き出した。
すぐに彼女の周りに、人魚の宮殿が作られた。
真
貝は人魚をモデルにして、疑似餌の制作にとりかかった。
はぐれ者の人魚に幻術を教えてもらい、その精緻さを極めようと昼夜を問わず努力した。
世界中の餌が寄ってくる疑似餌――
最も美しい疑似餌を作るんだ――
働きたくない、絶対に働かないために――
その執心ぶりに、作業を眺めていた人魚たちは驚嘆した。
「あの貝、本当に働き者よねえ……」
深
貝はめきめきと創作の力をつけた。
そしてついに、満足のいく疑似餌が作れた。
これ以上美しい者はいないだろうという疑似餌だった。
これで一生、美味しいものを食べ放題――
貝は興奮しながら浜へと打ち上がり、「釣り」を試みた。
だが人間の男は疑似餌を見て、怯え、恐がり、「化物だ!」と一目散に逃げていった。
貝はショックだった。
何が……何がいけなかったの……?
満足いけるものが、完璧なものが作れたのに……
海の底で失意に沈んでいると、はぐれ者の人魚がおずおずとやってきた。
「その……すごく言いにくいんだけど……
お客さんは、人間の雄でしょ? だから……
貝であるあなたや、人魚の私がいいと思う物よりも……
人間の雄がいいと思うものを作らないとダメなのかも……って……」
貝は口をあけて絶叫した。
それだ! それよ! それこそがプロフェッショナルよ!
言いにくいことを言ってくれて、ありがとう!
――やがて貝は畏敬を持って人魚たちから呼ばれるようになる。
人間よりも、人間の好む美を知る者――
美の女神、ヴィーナスと。
罪
負けた……私が、完敗だわ……
人間の雄のみならず雌まで虜にし……
いや、人間のみならず全ての神魔霊獣を虜にする私の美……
「本能を操る、抗うことのできない魅了という暴力」が……
ここまで通用しないなんて……!
悔しい……! でも、負けを認めちゃう! ガツンガツン!
紅い瞳のあなた……なんて、なんて……感受性が乏しいの!
疑似餌を無視して、本体である私に話しかけるなんて前代未聞よ!
え? アルカナの力で使い魔だとわかった?
そんなの、どうでもいい!
罠とわかってても飛び込んじゃう、その美の領域まで行きたい!
あなた……責任取ってよね。
あなたの側で、美を磨きたいの。
ちょっと……何してるの……
か、貝殻を磨いてくれてるの!?
屈辱……屈辱だわ……!
必ず、必ずあなたをとりこにしてあげるんだから!
毎日美しくなる私に、恐怖しなさい!
余談
ローマ神話の美と愛の神。
皇帝ユリウス・カエサルの氏神とされた。
ギリシャ神話のアフロディーテと同一視される。
lovでは3から登場。
美女は人間を誘い込むための疑似餌(ルアー)であり、本体は足下の貝であるという斬新な設定。
貝はシャコガイであるらしい。
サヴァスロではその疑似餌(立体ホログラム?)を作るまでの動機と苦労、新たな出発が描かれている。
「絶対に働きたくないから、頑張る」
「自分の満足いった物が作れたのに見向きもされない」
「言いにくいことを言ってくれてありがとう!」
など、クリエイターマインドに溢れている。美の巨匠である。
言いにくいことを言ったのは、はぐれ人魚=ハルフゥのようだ。